緩和医療
緩和ケアの最大の目的は、
患者さんの痛みを取り除くことです。
私はそう思います。
抗がん剤による副作用の痛みで弱る心。
私の場合は手足に表れました。
うまく言いえませんが、痛風のような痛みです。
何かに触れると強烈な痛みがはしり歩くことさえ
困難な状況に陥りました。
医師に相談すると
「モルヒネを投与する時期になりましたね」と
告げられました。
「モルヒネ」?麻薬?
あまり良いイメージがない言葉。
終末期に投与する最後の手段。
いよいよなのかと死に対する覚悟を覚えました。
抗がん剤があまり効かず、余命宣告を
受けていた頃のお話しです。
これまでと重複するところがありますが
あしからず。
癌に侵され、一度は消えた癌が再発。
転移が確認されステージ4の診断が下されました。
入退院を繰り返し、改善が見られないなか
抗がん剤の副作用が私を襲います。
髪の毛は抜け落ち、体のあちこちに斑点ができ
体重も減少、咳が止まらない状態がつづきます。
特に手足の症状がひどく、赤く腫れあがり皮膚は
擦り向け、歩くことさえままにならない。
緩和ケアの看護師さんに訴えます。
「どうなるんですか?これから」
看護師さんは「大丈夫ですよ」。
痛みを取り除きましょう、それが最大の目的
癌の完治は望めないなかでの最善の選択です。
QOL(Quality Of Life)生活の質を上げることが
緩和ケアの基本。
長くつづく癌との闘いのなか生活の質を維持しながら
過ごすことが大事だと説明されました。
モルヒネと聞くと死期が迫った癌患者さんに使う
最後の手段と思っていた私は安心し、モルヒネを
投与することに同意します。
モルヒネの量を探るための入院措置。
ひどい副作用が私を襲います。
身体がだるく、気力も萎えベットの上で過ごすことが
多くなってきましたが、一週間も過ぎたころから、ようやく体が慣れ始め
ずいぶん楽になっていきます。
脚の痛みは消えていき、格段にQOLが上がってきました。
ずいぶん元気になったと家族に言われます。
心も前向きになりだし、癌と闘う勇気が湧いてきます。
「これならいけるかも」期待が膨らんでいきました。
しかし、心配なのは薬の依存症です?。
医師や看護師さんは大丈夫と言いますが少し不安です。
モルヒネの量も決まり、見た目にも元気な私。
退院許可が下り、自宅へと帰りました。
これからモルヒネは自己管理です。
朝、夕と一日2回自宅での生活が始まります。
癌にかかりながらもお仕事をされている方は大勢
おられますよね、私も希望が出てきたと体を鍛える
ことに照準を合わせます。
そんな日が来ると良いと心底思いましたね。
中毒症状
それからしばらく経った頃、私はうっかり薬を無くしました。
次の診察日まで、日がありましたが無くても大丈夫だろうと
我慢することにしました。
一日目は大丈夫だったのですが、二日目体が震えだします。
「なんだ、この感覚は?」
私は不安になりましたが、診察日を明日に控えていたので
やり過ごすことにしました。
世間では芸能人の覚せい剤事件が話題になっていた頃です。
夕刻から体に変調が表れだしました。
落ち着きがなくなり、イライラしてきます。
心臓の鼓動が早くなり、部屋のなかをうろうろと歩き回る。
「どうしたんだろう?」
イラつくなかで考えますが、次第に頭も回らなくなりました。
そんな状態で一睡もできず朝を迎える。
私は急いで病院に行きました。
医師に相談するも明確な答えはなく、薬(モルヒネ)だけを処方されました。
薬を飲むと落ち着きを取り戻しました。
「これは?」あきらかにモルヒネの依存している?
このまま飲み続けていると麻薬中毒患者になるのか?
新たな不安が芽生えてきました。
依存性はないと聞いていたのに何故?
こんな状態じゃ、たとえ癌が治っても生活できない
まして復職なんて?
癌、モルヒネ中毒と身も心もボロボロになっていくのか?
心のなかで葛藤しています。
そして私はモルヒネを服用するのを辞めてみました。
一日、二日と、過ぎるにつれ、依存からかイライラしてきます。
同時に痛みがぶり返し、投与以前よりも悪い状態です。
緩和外来に出向き、看護師さんに相談しました。
看護師さんはそれならと、「薬を変えてみましょう」と
麻酔科の疼痛外来を紹介してくれます。
モルヒネの種類を変えてもらい、落ち着いた状態になりました。
痛みのプロの先生が見ていてくれる。
私は少し安心できたのです。
私のような症状は珍しいと麻酔科の先生は言っておられました。
癌になり、今までにない世界を見ている私、これからもいろんな経験を
して行くのでしょう。
そんな経験をブログにて発信していきます。
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