馴染みの人たち
ここは駅のホーム
何年振りかの朝の空気を吸い込んでいます。
あちらこちらに馴染みの顔が並びます。
あの人は少し老けたなとかこの人は変わらないなと
いつも目にした風景です。
仕事復帰初日、待ち焦がれた風景です。
思えば2年前の今頃は、余命いくばくかの私がいました。
会いたい人やりたいことをやっておきなさいと医師に言われ
私の人生もあと少しと覚悟を決め、死ぬことへの準備に取り掛かろうと
していた頃でしたね。
家族や親族のことを思いながらどうすれば?
残されたものが幸せに過ごしていけるのかを考えていました。
争いもなく過ごせるのか?
そればかりを考えていた日々が嘘のように今こうして駅のホームに
立っている私がいます。
死ぬことも大変です?
死んだ後のことまでは知りませんと、
それまでは考えていましたが、死期が決まるとそうはいきませんよね。
家族の行くすへや葬儀のこと墓はどうするのか?
やることの多さに圧倒されていました。
銀行口座や年金、生命保険と数えだすときりがないほどの多さです。
特にネット関連のアドレスやパスワードなど今の時代特有の問題も
出てきますよね。
とりあえずは解約手続きを進めて死んだ後に備えます。
大きな問題は葬儀をどうするのか?
家族葬にするのか?一般葬にするのか?
友人や会社関係の方々に知らせるのか?
私はひっそりと逝きたいと思っていましたが・
そうはいきません。
世間体を重んじる親兄弟と私の意見がぶつかります。
極端な話、直葬でもいいよと思ってる私の意見が通りません?
死に行くのは私なのに家の対面があるとかないとかで揉めています。
墓もどうするのか?大きな問題です。
私は墓など要らないと思っています。
散骨が理想ですが家族が納得しないのでどこぞの寺に
納骨してくれればいいよと伝えています。
しかし、身内はまたもや家の対面を持ち出しああだ、こうだと揉めています。
死ぬことの大変さを身に染みて感じた私。
願わくば私の思い通りにならないものかとふらつく足で実家へと
通う日々でした。
それならば生きてやろうじゃないのという考えが
一度は死を決めた私ですが、あまりのごたごたに嫌気がさし
生きるほうへとかじを切りました。
不思議なもので心が変わると、それまで効かなかった抗がん剤が
徐々に効き始め、勢いずいていた癌を抑え込んでいくのでした。
それから快方へと歩みだした私の体は余命期間を越えて
医師や看護師さんが驚くほどの回復力を見せたのです。
あの時に、すんなり私の考えが受け要られていれば、
私は死を覚悟して生きる気力を失い死んでいたのでしょう。
あえて家族や親族がそうしたのか定かではありませんが、
今となっては感謝しています。
そして、駅のホームに立つ私がいるのです。
病は気からと言いますが、ほんとそう思います。
あきらめない、何かに執着することで得体のしれない力を
手に入れることができるのではないかと思います。
どうか同じ病に苦しんでるみなさん。
あきらめなければ何かが変わり、思いもかけない結果に
巡り合えると信じて共に歩んでいきましょう。
抗がん剤を飲みながらの仕事です。
これから、どうなるかわからない中の社会復帰ですが、多くの方が
亡くなっていく中、助かった命を大事に生きていこうと思っています。
見慣れた顔を見ながら電車を待つ時間がこんなにも楽しいものなのかと
しみじみ思いながらニコニコしている私です。
電車が来ました!
さあ、仕事に向かう第一歩。
会社の理解もあり仕事に向かう私がいます。
ありがたいことですね。
サイト管理人
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